不毛な議論…

川崎の事件があって、「一人で死ぬべきだ」論争が巷を賑わせているけれど、ちょっと冷静に考えてみよう。

まず、川崎の事件で、「関係のない子どもや父兄を巻き込むなんてなんてとんでもないことをしたんだ。巻き込まないで一人で死ねばよかったのに」というのは、今回起きた事件について誰もが思うことでしょう。これは今回起こってしまった事件についての結果論的な個人の感情、感想、意見なのだからしかたありません。

でも、じゃあ、これを「拡大自殺せず一人で死ぬべき」と言うのが正しいか、そうでないかと論じるのはあまりにも愚かなことだと思うんです。

そう思うのにはいろいろと理由があるのだけれど、まず、起こってしまったことに対しての意見を、これから起こるかもしれないことに対しての一般論と捉えるのは危険だからです。それは問題をひとまとめにして、多様な個々の問題から目を背けることに他ならないから(自分ごととして考えないという意味で)。

さらに言えば、もし自分の置かれた境遇や、人、社会、その他の何かに深く憎悪を抱き、何か行動を起こそうと思い、なるべく効果的にその意志を果たそうと考えたならば、「他人を巻き込んで自殺するなんてもってのほかだ」「一人で死ねばいいのに」と世論が言うのであれば、その逆の「なるべく弱者を多く巻き込んで死ぬ」のが一番いいとなるわけです。いいだ悪いだ盛り上がったって、独りで憎悪をつのらせて実行する本人いはなんにも関係が無いどころか、じゃあどうせなら盛大にやってやると思わせる効果しかないのです。

今回の事件を受けて、単純に、引きこもりが事件を起こす可能性が高いという議論も、問題の確信を見失う効果の方が高いでしょう。

引きこもり、ニートと言っても、それぞれ理由も、抱えている問題も、様々で、例えば、殺された元事務次官の息子さんは家に引きこもってはいましたが、安定した収入があったようです。残念ながら親にとっては「暴力を振るう引きこもりの息子」だったわけですが。

自分の周りに(見える範囲に)そういう人がいない人は、テレビやニュースでやいのやいのやっているのを見て、問題を一般論にすり替えて満足をして忘れてしまいます。引きこもりは「問題を起こす可能性がある人」と一括りにして。

本当は、様々な理由があって引きこもらざるを得ない人が実際にたくさんいるというのが事実で、さらに、その全員が「問題を起こす可能性が高い人」なわけではありません。
例え自分の周りにいなくても、理由があって外に出たくても出られない人、理由があって出たくない人、自分ではそう思っていないのに周りの世間体から引きこもりと見られている人、それは「いい、悪い」ではなくて、一人一人、個別に実在する人ということを忘れないようにしないと。

そんなぁ、一人一人違うんだし、そんなこと言ったら何にも解決しないじゃん?って思いますよね。
そう、そう簡単な話じゃないんです。だから一般化して単純化して言い合っても意味がないんですよね。

この記事は役に立ちましたか?

投稿を作成しました 29

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。