ざっくりと民主主義について書いてみる(公共放送についても書いてるよ!)

ざっくりと民主主義について書いてみます。(公共放送についても書いてます)

民主主義ってなんでしょう?日本は民主主義ですか?
ざっくり言えば民主主義は市民を主権者とする主義です。日本だったら国民に主権がありますので、民主主義国家と言っていいでしょう。(日本国憲法前文および第一条)

この民主主義を守る(維持する)ためにさまざまな仕組みがあります。
議会制度だったり選挙だったり法律だったり裁判だったり学門・教育だったり、公共放送もその仕組みの一つです。

何から守っているかというと、それは権力からです。具体的に言えば一番大きなのは国家権力、すなわち政府です。

日本国憲法やいまの民主主義的な制度は、先の戦争を教訓に作られています。軍国主義だったり天皇制にはもう戻らないようにと。もちろん当時アメリカの影響下にあったわけですから、アメリカの思惑も多分に関係しているのだと思いますが、その割には議会制度も選挙も刑法も司法制度も公共放送も、どれも近代、民衆が勝ち取ってきた民主主義の仕組みを、わりとそのまま取り入れていることに驚きます。
おかげで日本はこの数十年を割と平和に民主主義国家として過ごしてこれました。本当にラッキーなことだと思います。

いやいや、今の政府がそんな民主主義を脅かすわけないし、民衆もいるんだから大丈夫だよ、と思う方も多いと思います。

もちろんそんな簡単に独裁政権にならないよと、ボクも思います。

けれど、意外と簡単かもと思う部分も多々あります。

例えば教育。
なんでこんなに今の日本人って自国の歴史についてよく知らないんでしょう。
なんでこんなに今の日本人って民主主義についてよく知らないんでしょう。
なんでこんなに今の日本人って日本国憲法についてよく知らないんでしょう。

それは個人の勉強不足…というにしてはひどい有様です。

例えば、悲惨な殺人事件、メディアでは被害者遺族の悲痛な声や、犯人を過剰に弁護する弁護団を非難するコメンテーターのコメントが流されます。
こんな犯人、死刑死刑!と皆が思っているのに、裁判では有期刑か?無期懲役か?なんてことがあります。

おかしいと思いますよね。
でも、民主主義としての司法制度のことをちゃんと理解していると、これは全く違って見えます。

極端に言ってしまえば、民主主義としての司法制度は被害者・被害者遺族のためのものではなく、神様のように万能ではない人間が、権力が濫用するのを防ぎ市民を守るため、民主主義の秩序を維持するため、なるべく間違い(冤罪)を犯さないために考えられた、完ぺきではないことが前提の制度です。

そのため、ハンデ付のゲームのような方法を採用しています。
検察が被告人の罪を最大限に主張し、弁護人が被告人の権利を被告人の意に沿って最大限に主張し、それを裁判官が公平に判断し、これまでの判例に基づいて判決を下す。

ハンデ付というのは、逮捕から取り調べを行う警察、そこから判断して起訴するかどうかを決め裁判に臨む検察はどちらも国家権力であり、巨大な組織です。それに対する弁護人は大した権限も人数も時間も割けない弁護士です。そのため説明責任や検証責任は主に検察にあります。

さらに裁判は公開されています。検察が起訴しなかった場合でも検察審議会で不起訴不当となれば強制起訴されます。

弁護人が明らかにおかしな弁護をしていたら懲戒請求をすることができます。ただし、弁護人が明らかに被告人の意に沿わない弁護をした場合にも懲戒処分となります。つまり弁護人はどんなに民意に反しても、被告人の権利を最大限に主張する義務があります。

極悪人を糾弾する検察は正義で、弁護する弁護人は悪みたいな見方は、まあ司法制度を理解していない、もしくは理性的に考えられず、感情的になっているということになります。
でも、大の大人でも司法制度を理解していない人は多いと思います。モリカケ問題について友人と話していた時に、「でも検察が不起訴にしたんだから問題ないでしょ?何が問題なの?」と言いました。いえいえ、判決を下すのは裁判官、裁判所です。検察が不起訴にしたから問題ないなら裁判所はいりません。しかも不起訴になったのは官僚です。無いとは思いたいですが、検察も官僚も権力内部の人です。

民主主義的な司法制度は被害者・被害者遺族のためのものではないと書きましたが、それでもここ10年でずいぶん被害者・被害者遺族が裁判に参加できるようになってきました。それ以前は被害者遺族ですら、傍聴券を並んで取って傍聴しなければいけなかったし、検察側の席について意見を述べるなんてできませんでした。
これは被害者・被害者遺族の会の長年の努力で勝ち取った権利です。

この司法制度からもう一つ見えることは、民主主義を守るための制度は必ずしも民意をそのまま反映するものではないことです。

なぜなら、民意は意外と流されやすいものだからです。

えてして独裁者の台頭は、最初は民意によって進むもので、多くの人は正しいと思って賛同してしまいます。
ポピュリズムやポピュリストは民主主義にとってはとても脅威なのです。

なので、これらの制度は、ある程度、そんなポピュリズムに民意が流されたとしても簡単には変えられないように設計されています。

ただ、その制度自体を変えようとした場合(もちろん国会で)、それは改悪だ、権力主義だと弁護士や研究者が騒ぐのは、権力者にとって都合が良い制度にならないように、声を上げているわけです。
でも、民主主義やその仕組みを理解できていない人にとっては、何を騒いでいるのかきっとわからないでしょう。

民主主義的にやろうと思うと、警察、検察にとっては捜査が難しくなりますし、時間がかかります。例えば取り調べは録画しろとか、長期勾留はやめろとか。
でも、これも目的としては権力が制度を悪用することを防ぎ、市民を守るために必要だと考えられることがらです。
裁判が非公開で行われる、突然逮捕されて、しかもどこに勾留されているかわからない…なんてあったら困りますよね?でも、すぐ近くの国では当たり前のように行われています。
そんな国から、誰々はこんな犯罪を犯した、証拠はこちらにあるから引き渡せ、ちゃんとこちらで裁くからなんて言われたら絶望的ですよねぇ。デモもしたくなるってもんです。

日本は大丈夫でしょう…か?いつの間にか変わってない?
いま一番簡単に変えられる…、変えられてしまっているのは、もしかしたら教育かもしれないですね。
そこから崩すのが、時間はかかりますが、一番効率てきで、効果的なんじゃないか?ボクはそう思います。

さて、では公共放送とはなんでしょうか?

ある人は言いました。
報道や災害情報、公益情報は公共放送で流し、その他のものは民放が流せばいい。

民主主義的機能としての公共放送に対する見識としてはNOです。

日本の民主主義を守る仕組みは、先の戦争を教訓として作られたと書きました。
では公共放送に求められるものはなんでしょうか。

もちろん権力や経済力からなるべく影響を受けない報道、災害情報や公益情報を全国津々浦々まで流すことは公共放送の大事な使命です。

でも実はそれ以外の文化的な番組制作も公共放送に求められる大事な使命なのです。

歴史や文化、芸能(今どきのバラエティも含む)は、一見、公共放送的ではないんじゃ?と思われがちですが、これらは民主主義にとってはとても重要なものです。
歴史を学べばすぐわかることですが、文化は民衆によって生み出されるものです。人々の自由な活動によって生まれ、そこから自由闊達な会話、議論が生まれます。歴史があるから過去を見習い、過去を反省し、未来を描くことができます。
ですがそれは独裁者や一部の権力者にとっては邪魔になります。
歴史や周りの国を見渡せば、歴史を都合よく書き換え、文化を破壊し、都合のいいものしか見せない聞かせないなんてことが当たり前のように行われています。そういう権力者にとって表現、言論、出版などの自由は邪魔なんです。

でも、いまはそんなことないから民放に任せればいいよ、民放もそこまで馬鹿じゃないでしょう。今はインターネットもあるし!
ボクもそう思いたいですが、自信はありません。
視聴率が取れないような文化的な番組や、見たくもない海外から見た日本の歴史や、ドキュメンタリー、日本のある地域の歴史、文芸、どれだけ作られるでしょうか。もちろん現代の自由で華やかな芸能や文化も将来に向けて残す。これも大事な使命です。
それに、 周りの国ではインターネットも簡単に…ねぇ。

もちろん公共放送があれば大丈夫!今のNHKに問題が無い、なんてボクは言いません。
巨大化し、関連の株式会社もたくさんあって、本当に公共放送としての役割を担えるのか?受信契約も、質問しても「それは私の仕事として答えることはできないのでNHKに電話して聞いてください」としか言えない乱暴な外部委託業者に任せたり(今はどうかしりませんが、外部委託業者の求人には「あなたの実力次第でいくらでも稼げます」的なことが書いてありましたし)。料金だって本当に今の金額が妥当なのか、報酬は高すぎるんじゃないか。なんで働いてる人はストレスで犯罪を起こすのか(ボクのいとこがNHK職員でしたが、本当に大変そうでした)なんてずっと考えています。

とはいえ、だからスクランブル放送に…とはなりません。

スクランブル放送にして、民意を問えばいい?先にも書きましたが、必ずしも民意は正しいとは限りません。いえ、民意は間違えやすいことは、歴史的にも、ここ最近の出来事でも十分わかるじゃないですか。
文芸は民放に…なんて言う人がいるわけですし。

多少民意が間違えても改悪されないための民主主義的な仕組みが憲法であり放送法であり公共放送なんです。
その仕組みを、いまはいらないから、払いたくないから、ぶっ壊す?

せっかく政党を作ったり、投票するなら、ちゃんと民主主義を理解したうえで、公共放送としてどこが問題なのか、ちゃんと機能しているのか、本来の公共放送としての役割を果たすためにはどう変えたらいいのかを議論できる方が良くないですか?

余談ですが、ツイッターとか眺めてると、安倍さんを応援してる人はNHKは反安倍だと言ってて、安倍さんに批判的な人はNHKを安倍寄りだと言ってるのを目にします^^
ボクが見てると、政治部は与党寄りで、社会部は批判的に見えます。もちろんちょっと考えれば理由もだいたい想像がつきますけどね。
でもボクはとても楽しくドラマやニュース、ドキュメンタリーなんかを見てますけど。
いったい見てる側にはどんなバイアスがかかってるんでしょうね^^
民主主義的に考えれば、少々政権に批判的に見えるくらいが正常じゃないかと思うんですけど。

あ、まだまだ書きたいことはたくさんありますよ^^

日本は民主主義です。でも、結構な割合でなんとなく民主主義=多数決だと思っている人がいます。
でも、民主主義は多数決ではありません。

確かに、選挙を見ると、投票数で第一党を決め、そこから首相を選び、政府が構成されます。なぜか与党に投票した人は自分が勝った!みたいな感覚になるみたいですが、実は選挙は多数決で勝ち負けを決める仕組みではありません。

民主主義的な選挙って何でしょう。
民主主義はなるべく特別を作らない、なるべく多くの意見を尊重するものです。
では、それを満たす選挙の条件はなんでしょう?
・なるべく多くの意見をくみ上げる。
・選挙によって政権の交代を可能とする。
ただし、議席数は有限で、なるべく不平等にならないとする。

議席数は有限です。なんでもかんでも意見をくみ上げることは事実上不可能です。
なのでどうしても代表者が立候補して投票で決める必要があります。が、勝ち負けではなく、票数によってなるべく多くの代表者(まあ日本では政党)を選出します。
当たり前のことを書いていますが、他に有限な議席数をなるべく有用な多くの意見をくみ上げて選ぶ方法があれば、それは世界中の民主主義の新しい方法になるかもしれません^^

選挙によって政権交代ができるなら、与党だけでいいかも?いえいえ、そんなことはありません。もし、議会が与党だけとして、その与党がダメダメで、選挙によって交代させたいと誰もが思っていたとします。その場合、次は誰に投票しますか?誰を立候補させます??落選した他の政党は、お金もないのに維持できているでしょうか?議員活動をしているところも見ていないのに、この政党、この人がいいってわかるでしょうか?
野党や議会はもちろん様々な意見を反映させたり、チェックしたりすることが第一ですが、政権を交代させるときの選択肢をチェックするためにもなっています。
これも当たり前ですねぇ。

なのになんで多数決だって思っちゃうんでしょう?

それから、日本は民主主義ですが、資本主義でもあります。

わりと自由な経済活動=資本主義=民主主義だと思ってる人がいるのですが、実は資本主義と民主主義は仲が良くありません(まあ仲良しか仲が悪いかではないのですが)。

民主主義は先にも書きましたが、なるべく特別を作らない。つまり格差を作らない主義です。
資本主義は、資本がある人が、無い人を労働力としてお金を払って使い(悪い言い方だと「買い」)、より多くのお金を儲けることです。もちろんアイデアや実力、繋がりで労働者が資本を持つ人になることもありますが、基本的にはあくまでも資本を持つ人のための主義です(ざっくり言うとです!^^)。

つまり、資本主義だけでは格差はどんどん大きくなります。それを再分配するのは民主主義です(ざっくりですよ!ざっくり!)。

この間、Twitterで日本がアメリカ同様経済格差が広がっているって記事へのコメントで「再配分を増やすほど社会主義化して経済成長が下がる。経済成長して豊かになるにはリスクに応じた公正な格差を許容することではないか。自由競争、公正競争なら問題ないし、生活保護などがあるから一層問題なし」とコメントしてる人がいて愕然としました。
お金に困っていない人にとっては、資本主義が良くて、社会主義(ほんとうは民主主義なんですが)は邪魔なんです。
でも、お金に困ってる人も、日本の経済が良くなれば自分たちにもって思ってますよね。もちろん全部が間違いではありませんが、お金に困ってない人たちは、困っている人たちのことなんてこの程度にしか考えていません。それが資本主義だから。
なので、いくら日本のGDPが良くなっても、そう簡単に格差は小さくならないんです。

この問題は、民主主義と資本主義のバランスが問題なんですが、ここ10年でずいぶん資本主義にシフトしています。雇用者が雇いやすい(つまり安く)制度になり、GDPが上がっても、再配分はあまり増えていないという。

さっきのTwitterの人が再配分は社会主義的と書いていましたが、そうではないんです。
例えば、民主主義度が高い北欧の国スウェーデンは、雇用者よりも労働者が優遇される制度を作り維持しています。それは社会主義的に考えたのではなく、民主主義的に考えたからこそであるわけです。これが正しくて、ずっと続くかはわかりませんが、再配分=社会主義ではなく、本当は再配分=民主主義なんです。

ちなみに権力は当然資本主義と仲良くなりがちです。政府の後ろには巨大な省庁がいますし、何十年も政府与党が変わらない(変わっても数年でもどってくる)現状では、経済界は政府与党と仲良くして、自分たちに有利な制度にしてもらいたいわけです。多かれ少なかれ、歴史の中では権力と資本は仲良し(おぬしも悪よのぉとか言いながら)なわけです。

ちょっと話はズレますが、この何十年もの間、首相や重要な大臣に起用されている人たちの多くは、江戸時代や明治、大正、戦時中から続く豪商、華族、貴族の末裔です。家系に首相が3人?とか、財閥の御曹司とか、地方の大商人の家系とか。もちろんお金に困ったことはないので、格差なんてよくわかりません。

ボクの知り合いが京都の某所(国が管理する施設)の一般公開に行きたいけど、抽選で、当たる確率が低いと、某明治から続く大企業の友人に話したら、上の方の方に連絡をしてくれて、手に入ったとのこと。
まあ、今回の話には直接関係ないんですけどねぇ。意外と、続いてるんです。いろいろ。

んー、ここまでほぼ休まず、見返さず、ばーっと書いてきたので、ちゃんと書けているのか不安ですし、実はまだまだ書きたいことは山のようにあるのですが、24時を過ぎましたので今日はこの辺にしたいと思います。

あくまでも資料も見ずに、私見をばーっと書いたものですからね!

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